寛永通宝は江戸時代に流通していた貨幣です。鋳造は1636年(寛永13年)からはじまり、幕末まで作られ続けました。
形は一般的な古銭と同じく、円形の中央に正方形の穴があいたもので、表面に寛永通宝(寛永通寶)と銘がうたれています。
大きさは約25mmで重さは35.g前後、原材料には主に銅・鉄・真鍮などが使われていますが、製造された年代によって多少の差異があります。
寛永通宝は大きく二種類に分類され、1659年までに製造された古寛永と、1668年以降に製造された新寛永にわかれます。
寛永通宝のおこり
寛永通宝が出来るまでは、室町時代から200年余りにわたり永楽通宝が使われていました。しかし、関東では使われていたものの関西では京銭と呼ばれる別の貨幣が使われていました。
これを良しとしない江戸幕府は、貨幣の統一化をはかるため、寛永通宝を作ることにしたのです。
その後、寛永通宝を作るための銭座を日本各地に設けることで、地域によって規格に多少の差異はうまれたものの、初めての全国統一の流通貨幣として使用されることになりました。
寛永通宝の種類
当時は鋳造技術がまだまだ発展途上でした。寛永通宝は製造場所が全国各地にあったこと、長い年月にわたり作られていたことから、刻印や色合い、大きさなどに差異がありました。
そのため、寛永通宝には数百種類に及ぶ種類があるといわれています。
また、表面の文字は寛永通寶で統一されていたものの、裏面の文字は年代や銭座によって様々でした。四文銭と呼ばれる波模様が入っているものや、文・久・小・長・元・足・二・ト・仙・十などの文字がどこかに入っているものなどがあり、それがある事でどこで作られた寛永通宝なのか判明したりしています。
現在における寛永通宝の価値は
新寛永と古寛永では古寛永の方が価値が高い傾向にあります。
この二つの見分け方として、『寳』の文字の下が【ス】に見えるものが古寛永、【ハ】に見えるものが新寛永となります。
また、一般的に使用されていた通用銭と、通用銭を作る際に型をとるための母銭の2種類があり、母銭の方が数が少なく、通用銭と比べ10倍~100倍くらいの価値がついています。
日本貨幣カタログによると通用銭には100円~30万円の間で価値が付いているようです。
母銭の方は安くて1万円、高ければ100万円をこえるものもあるとの事。
母銭と通用銭の見分け方ですが、縁の部分(至輪形)を比較して小さいものが通用銭で大きいものが母銭となります。